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三沢市で注文住宅を建てるなら知っておきたいポイント!
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この頃の子どもたちは今の子どもたちと比べると、どのくらい勉強していたのでしょうか? 近頃の子どもたちは学校での勉強が終わったあとも塾や習い事に行き、とても忙しそうです。金次郎さんたちが子どもだった昭和の初め頃は、学校での勉強だけでなく、家の仕事やお手伝い、小さな妹弟たちの面倒を見ていたのでそれは忙しいものでした。小さな子どもがいる家では、子守は子どもたちの仕事です。親たちは畑や漁の仕事で忙しいので、お母さんも家で子どもの相手をしているわけにはいきません。だから学校に、小さな弟や妹を背負って連れて行きました。
学校が終わったあと、もちろん子どもですから遊びはしますが、手伝いが山ほどあり ました。朝だって学校に行く前から家のお手伝いです。子どもたちは家族の一員として、できる務めをやりました。家族みんなで働き、生活していたのです。先生に教えてもら う勉強は今の子どもたちの方がたくさんしているかも知れませんが、生きていくために 必要な勉強は、昔の子どもたちの方がしていたようです。
金次郎さんも大人と一緒に漁に出たり、農作業のお手伝いをしていました。その中に海で捕れたいわしの煮干を作る仕事がありました。近くの町や村から卸商や農家の人が煮干を買いにやってきます。大人たちは煮干を作っておいて、お客さんが買いにくるのを待っていました。
「いつ来るかわからないお客さんを待っているだけなんて、もう少しうまくやれる方法があるんじゃないだろうか?」
と金次郎さんは考えました。
「わざわざこんな遠くまで煮干を買いにくるっていうことは、よっぽど暮らしに必要なもんなんだな。もしかしたら欲しいけれども買いにこられない人がいるかも知れない」
金次郎さんは背負子を作って、冬休みにお姉さん(四女)のキヨさんと煮干を売りに行くことにしました。
村々を回るとやはり買ってくれる人たちがいました。それでも想像していたほど多くは売れませんでした。
「お金を出してものを買うというのは大変なことなんだろうなあ。おらほの家にもぜんこ(お金)はないからなあ」
金次郎さんは我が家の台所事情を頭に思い浮かべながら、買いたいけれど買えない人の事情も考えてみました。
「そうだおらほの家にはぜんこはないけれど、海で取れた魚や畑の野菜がある。よその農家の人たちにも、ぜんこの代わりになるものがたくさんあるんじゃないか?」
金次郎さんは煮干を物と交換することにしました。すると思ったとおり、物物交換ならば、と煮干を買ってくれる人が増えました。そば粉や大豆、小豆などと交換しました。
さて、この煮干しの行商。行きの荷物は煮干なので、背負っても大した重さはありません。しかし、交換すればするほど荷は重くなり、背負子の綱が肩にぎっしりとくい込みます。家までの長い道のりを背負って帰るには、小さな子どもの体には堪えます。そこでもう一度、交換で手に入れた物を百石の町でお金に変えます。煮干と取り替えた豆をお金に替えてもらうと、なんと一升あたりで一〜二銭、煮干をそのまま売るより高く売れることがわかりました。
「同じものでも場所や人によって価値が変わるんだな」
行商はこの百石の地域ではほとんど見かけることはありませんでした。小さな金次郎さんはどうすればものが売れるのか自分で考え、この売り方を見つけました。もしかするとこの時の経験が金次郎さんの商人としての原点になったのかもしれません。
次回更新をお楽しみに!
カテゴリー: タナカホームヒストリー
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