早過ぎたタコス屋の店主からの逆転人生 創業時から屋台骨を支えてきたスーパータフネス!
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こんにちは、八戸市の工務店 タナカホームです。
今回は32年に渡り、タナカホームとあゆみを共にし、屋台骨を支えてきた小原一春(かずはる)副社長をご紹介します。
イランイラク戦争の時は現地に居合わせたり、タコス店を経営したりというユニークな経歴の持ち主。人一倍タフな精神力と人を見抜く洞察力で現在は採用・総務を担当しています。
さまざまなエピソードを通して、その豊かな人間力にふれてみてください。
Q海外で仕事をされていたそうですが。
中学の時からなぜか海外で仕事してみたいという思いに取りつかれたのです。最初、水産高校に入り外洋実習船で外国に行こうと思っていたのですが、諸般の事情で普通高校に進学したため適わず、進学した大学の貿易学科で学んだ後、厨房器具メーカーに就職、23歳に海外赴任となり、夢を叶えました。赴任先は主にイスラム諸国だったので、日本とは全く異なる文化、習慣を体感できたことは一生の宝物です。
Qタナカホームに入社したきっかけは?
30歳のころ、事業で大成功するという野望をもっていて、八戸市でタコスの店をはじめたのです。沖縄で初めて食べたタコスに「こんなにうまいものが売れないはずがない!」と思い込んだらまっしぐら、沖縄で勉強して開業にこぎつけたのでした。しかし、業績不振のため2年で閉店へ。借金だけが残りました。そのため、営業マンとして会社に勤めたのですが、いわゆるブラック企業だったのです。そうした折に、タナカホームの田中米一社長(現会長)の友人の方から「営業マンを探しているから、やってみないか」と声を掛けてもらったのです。面接をして、すぐに採用いただきました。あの時は本当に救われた思いでした。
Q当時のタナカホームはどんな状況でしたか?
当時のメンバーは、田中社長(現会長)と奥様の文恵さん、現場監督、事務のパートさんと4人で、そこに住宅に関する知識の全くない私が営業マンとして迎えられたのです。会社の経営は順調でもっと従業員を増やしたいとのことだったので、すぐに前の会社で同僚だった2人に声を掛けて、一緒に働くことになりました。それからはどんどん会社が大きくなっていったのです。
Q印象に残っているエピソードは?
東京都内の超高級住宅地にあるお住まいを売却、ふるさと八戸に戻り、「終の棲家」を建てたいという60代のご夫妻を担当した時のことです。ご夫妻が家相を気にされる方だったので、お二人に満足していただくためにはどうしたらよいか、大変苦心しました。東京に住むご夫妻に間取りをご提案しても家相を見る先生からチェックが入るため、10回以上も設計変更を行い、ようやく70坪の立派なお屋敷が完成しました。
結果、お二人には大変満足していただいたので、完成までの苦労も吹き飛びました。
後日、2件の新築と、2件の中古住宅の売却を依頼され、28年経った今でも親しくさせていただいています。家づくりの難しさと醍醐味を実感した忘れられない思い出です。
Qこれまでを振り返って、どんな想いですか?
入社してから、新築住宅、リフォーム事業部、お客様サービスチーム、アフターサービス、新卒採用部門いろんな仕事を経験させていただきました。どれも初めての経験でしたので、時には経営コンサルタントのアドバイスをもらいながら、自分でも勉強しながら取り組んできました。好き嫌いとか、できるかできないかではなく、「成功させなければ!」と必死な想いで取り組んできたというのが正直なところです。
自分なりに目標をもって、やりがいのある仕事をして夢も実現できたのは、会社と仲間の皆さんのおかげと感謝しています。
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