スタッフ紹介

小原 一春

小原 一春

Kazuharu Obara

副社長

出身地 青森県八戸市

―― 自己紹介をお願いします。 

ゴジラと同じ年(1954年)に生まれました。
ちょっと前までは、ゴルフ、フィッシングやジムにも通っていましたが、
最近はご無沙汰です。
 健康の為に、最近ではゴルフを再開しています。 

 

――タナカホームに入社したきっかけは? 

30歳のころ、事業で大成功するという野望をもっていて、
八戸市でタコスの店をはじめたのです。沖縄で初めて食べたタコスに
「こんなにうまいものが売れないはずがない
!」と思い込んだらまっしぐら、
沖縄で勉強して開業にこぎつけたのでした。しかし、業績不振のため
2年で閉店へ。
借金だけが残りました。そのため、営業マンとして会社に勤めたのですが、
いわゆるブラック企業だったのです。そうした折に、
タナカホームの田中米一社長
(前会長)の友人の方から
「営業マンを探しているから、やってみないか」と声を掛けてもらったのです。
面接をして、すぐに採用いただきました。あの時は本当に救われた思いでした。
 

 

――当時のタナカホームはどんな状況でしたか? 

当時のメンバーは、田中社長(前会長)と奥様の文恵さん、現場監督、事務のパートさん
4人で、そこに住宅に関する知識の全くない私が営業マンとして迎えられたのです。
会社の経営は順調でもっと従業員を増やしたいとのことだったので、
すぐに前の会社で同僚だった
2人に声を掛けて、一緒に働くことになりました。
それからはどんどん会社が大きくなっていったのです。
 

 

――印象に残っているエピソードは? 

東京都内の超高級住宅地にあるお住まいを売却、ふるさと八戸に戻り、
「終の棲家」を建てたいという
60代のご夫妻を担当した時のことです。
ご夫妻が家相を気にされる方だったので、お二人に満足していただくためには
どうしたらよいか、大変苦心しました。
東京に住むご夫妻に間取りをご提案しても家相を見る先生からチェックが入るため、
10回以上も設計変更を行い、ようやく70坪の立派なお屋敷が完成しました。
結果、お二人には大変満足していただいたので、完成までの苦労も吹き飛びました。
後日、2件の新築と、2件の中古住宅の売却を依頼され、28年経った今でも
親しくさせていただいています。
家づくりの難しさと醍醐味を実感した忘れられない思い出です。
 

 

 

  • 小原 一春
  • 小原 一春

ーーこれまでを振り返って、どんな想いですか? 

入社してから、新築住宅、リフォーム事業部、お客様サービスチーム、アフターサービス、
新卒採用部門いろんな仕事を経験させていただきました。
どれも初めての経験でしたので、時には経営コンサルタントのアドバイスをもらいながら、
自分でも勉強しながら取り組んできました。
好き嫌いとか、できるかできないかではなく、「成功させなければ
!
と必死な想いで取り組んできたというのが正直なところです。

自分なりに目標をもって、やりがいのある仕事をして夢も実現できたのは、
会社と仲間の皆さんのおかげと感謝しています。
 

――あなたが思う自社の(家づくり)の長所を教えてください。 

随分前にアメリカのシアトルの住宅展示場を見に行ったことがあります。
その名も「
street of dreams」。本当に夢のような豪邸が建ち並んでいましたが、
スタッフの説明に感動したものです。アメリカでは、初代が3代持つ家を建てると、
2代目はプレジャーボートが買える。そして3代目は別荘を買える、というような、
100年先を見据えた家づくりをするので限りある資源を無駄にしないのです。と・・・
タナカホームでは、30年前から青森県ではほとんど施工例が無かった
真の高気密・高断熱住宅の建築を始めました。当時ペアガラス入り樹脂サッシを
標準仕様にしていたのは弊社だけでした。そして
9年前からトリプルガラスを
標準仕様としたのもタナカホームが最初です。
全ては、3代先を見据えた家づくりこそがオーナー様の望みだからです。
 

 

 

――お客様に向けてメッセージを 

弊社の経営理念の一文に「家づくりは幸せ創り」という一文があります。
私たちの仕事はただ家を建てることだけではありません。
何代にも渡ってご家族の幸せ創りのお手伝いとなり得る空間をご提供することが
最大の仕事と考えます。
 タナカホームがあなたの幸せ創りのお手伝いをさせていただきます。